タイプライターって知っていますか?それも重量が10Kg以上ある、ガチビジネスモデルです。今日は今から30年ほど前の駐在員の机を紹介したいと思います。
日本との違いでまずビックリしたのが机の大きさでした。巨大に思えました。A4を4枚普通に並べて一望できるサイズです。それまでは小さいスペースでどれだけ効率的に仕事が出来るかは大事な点でした。しかし巨大な机が目の前にあると、気持ちが何しろ良かった。そしていちいち片付けなくて良いのはストレスが減りましたね。
タイプライーターが英語対応だったのは助かりました。ブラインドタッチは英語で覚えていました。当時は世界中どこでも共通と思っていました。その後欧州に活動の場所を移すと、その考えは根本的に間違っていることを知ります。
当時のデーターベースは勿論紙で、インデックスは貧弱でしたね。ですので、自分の頭が検索エンジンです。ファイルの整理の仕方や、いらない書類は捨てるとか、そんなノウハウがとても大事でした。でないと、紙で溢れかえってしまいます。
当時最高の検索エンジンは先輩やお客さんでした。キーワードを訪ねても、回答は得られないので、検索技術はとても高度でしたね。
メキシコでは既存客の定期的な商売と、全くの新規営業がありました。駐在当時はスペインのスペイン語のアクセントがあったので、現地のお客様から覚えてもらうことができました。
駐在員が飛び込み営業って、人件費を考えたらコスパが非常に悪いのですが、自分で自分の部門採算を稼ぐのが常識でした。事務所内では誰も教えてくれないし、商売も貰えないので、自ら動くしかありませんでしたね。
移動には車を使いました。安全の問題から駐在員は運転手付きを義務つけられています。慣れるまでは、運転手付きでしたが、当時は景気が非常によい時代で、誘拐もない数年間だったので、日中の移動は危険地域を除いて、一人で移動が可能になりました。
手元には携帯電話があり、当時の料金制度は、受ける方も、かける方も料金が掛かりました。相手が持っていることは少ないので、どうしても固定電話にかけますね。当時の一般の友人で持っている人はほぼ皆無で、待ち合わせは固定電話で事前にでした。携帯電話と車を入手したら、オフィスではなく、もう外に行くしかないというのが毎日でしたね。
営業戦略といえるような立派なものはなく、入手した貧弱なリストをもとに片っ端からアタックというのが当時の正攻法です。夜は食事会に食事会に出来るだけ参加して、人脈と情報網作り、週末は日本からお客様のアテンドと、ほぼ生活は仕事一色でした。たまに行くゴルフは息抜きと、日本人駐在員との交流が目的で、地元の人との交流はスカッシュクラブや近くの行きつけのBarで知り合った人ぐらいでしたね。
不思議なもので、アウトプットを続けていると、他国の機械部門の駐在員が助けてくれたりします。この当時でさえアウトプットは大事でした。週報とかって、生情報たっぷりなのですが、開示されることは少なく、今考えると、もっと激しく振っても良かったなぁと思います。
そう思うとビジネスメンターってとても大事ですよね。先輩方の重みを今更ながら感じます。リンクトインの営業向けのコーチングで喜ばれるのは、意外にこの辺りかもしれませんね。
駐在員時代は苦しくもありましたが、楽しくもありました。とにかく未来に向けてやってやろうという気概で一杯でしたね。お給料が保証されている会社員でしたので、経済的不安がないのは精神的に大きなプラスでした。
しかし5年と言われた駐在期間は突然2年目に終了することになります。ここは社会人としての悲哀を感じる瞬間でした。ちょうどこれから地元の人達と交流できる余裕が出来た矢先のことでした。
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